追い風1.8m/s

人に見せる用のブログです

眠りと恋文

(4662字)

一番最後の追記から読んでください。

 

 

 

2023年1月3日現在、このブログと、もう一つのブログを持っている。

 

もう一つの方を少し元から持っていて、そちらで日記をしばらく(といってもまだ1ヶ月ほど)つけている。あくまでも日記はリテラシーに配慮した上で公開しているとはいえ、あまりにもそれは赤裸々かつ「人に読まれている、読んでもらうための」文章であるという視点が抜け落ちている。

そのため、「私」が書いたことを明確にしている、人に読んでもらうための文章は、日記と分けた方が賢明だろうと判断した。そうしてこの「人に見せる用のブログ」ができたわけだ。

 

 

これで問題は解決したように思うのだけれど、しかしだ、一つ最近悩んでいる。

 

知り合いのブログをフォローしたい時、一体どちらのアカウントでフォローをすればよいのか?普段使いのアカウントと、一応のところフォーマルな顔をしたアカウント、どちらにすれば良いのだろう。

 

どっちでもいいだろうと言われそうだが個人的には、素の笑顔で握手を交わすか、ビジネススマイルで名刺を差し出すかぐらいの違いを感じる。違うだろうこれは明確に。

 

で、だ。その上で時と場合で二者を使い分ければいいだろという話なんだろうが、できれば前者でいきたい。が、そうすると日記の目的が失われてしまう。

日記自体は、私が他では言えないようなこと含め匿名性やリテラシーを保ったまま好きなように書き散らす、という目的で運用している。私のTwitterとかインスタとかとこちらの日記は完全に隔絶しているので、それらを入り口にして私のブログもとい日記だとは特定できない。

その上、Twitterのように私のつぶやきが受動的に垂れ流しになってるわけでもないので、もし私の日記を見つけた人間が私の日記を読んでたとしたら、意図的にリンク踏んでブログに飛んで来ないと読めないわけだ。

そんな能動的に読んでるやつに、お前の日記はクソだ!と批判される余地などない(リテラシー的にクソなところがあればすぐに批判されるべきだが)。なぜなら、嫌なら見にこなければよいから。見にこない、というだけで「クソな文章」でお目汚しを喰らう確率も0になるのだから。

 

あくまでも相手に見るか見ないかの選択権を残すための、SNSやその他の手段との隔絶である(ここまで言うてて、いつかついうっかりTwitterとかでバレたらクソ面白いのでそのときは笑ってください)。

そのため、日記の方のブログで他人をフォローするのは悪手だ。

 

 

ではなぜフォーマル(笑)のアカウントはダメなのか? これは前者に比べると幾分みみっちい理由である。

つまり、勝手な想像による萎縮だけれど、「そういうフォーマルな形の上っ面な感じがするの、みんな嫌いそ〜〜〜…。」という理由から、だ。「名刺を渡すんじゃなくて、赤裸々にぶつかって来いよ!あ?!」っていうんじゃないかなあ、なんて。悩みすぎな気はするけれど。

 

 

なんでこんなことを今こんなに悩んでるのかと言えば、「最近思い出したあの人のブログのあの記事が好きだったんだよな、フォローしたいなあ…」という思いに駆られているからだ。しかしその人は、なんとなく、作られた言葉よりも普段使いの言葉の方を好みそうだなあと思うのだ。本人に聞いてない想像なので、なんとも申し訳ないが。

 

ので、名刺を渡すこと、つまり準フォーマルブログで他人をフォローすることを憚られている。

 

 

 

こんなことでどんだけ悩んでるんだお前は!

とも思うけれど、こんなことでここまで悩んで結局文章にまでしてしまったのがお前なので、そういうものなのだろう。

 

 

 

…。

などと考えながら、とりあえずは名刺を差し出すことにする。

南無三、やむなし。

 

 

 

でもそのくらいあなたの言葉遣いが好きなのだ。

私にはあなたに文章を書くことを強制する力など微塵もないのだけれど、よければまた好き勝手に言葉を吐いてほしい。

 

 

大学に入ってから、ありとあらゆる人の文章をありとあらゆる場所で読んできた。

ただあなたのブログのとある記事のワンフレーズがどーーーーしても頭から離れない。人との関係だとか人生の意味とかあるべき理想とか自分の存在とかがもう何も分かんなくなってた時期に、ふっと救い出してくれた言葉なのだ。

 

執着と愛慕の間の限りなく見えにくい境界をするすると優しく指でなぞり、誰かとの出会いと別れをこれほどまでに清々しく描き出せるようになるまでに、この人は今までどれほどの感情を経験してきたのだろうか。

 

これは完全に個人の感想だけど、痛いもの(裏切り、挫折、失恋、喪失等、その他各々の想像に任せる)で擦られ続けた人間ほど、優しく輝くと思っている。でももし経験しなくて済むなら、その擦られは回避したほうがいい、なぜならとっても痛いから。

そんな優しい人間がいてしまうという事実ほど、この世の苦しみの存在を痛感する時はない。この人どれだけ傷ついてきたんかな、と。

もっとみんな無邪気で、少し乱暴で、たまには傷ついて泣いて、結局幸せそうな顔をしていればいいと思う。

 

でも、それでもやっぱり、たくさん思い悩んで傷ついて、それでも前を向こうとしている人の美しさが、私は一番きれいだと思ってしまう。

私はとてもずるい。

 

 

話を戻そう。実際のところ、かの文章のかのフレーズ通りの生き方をすることがどこまで可能なのか、はたまたこの通りにいかないことに良さがあったりするのか、そのへん含めて「この生き方が正解なんだ!!」と今すぐ言い切ることはできない、し、する方が失礼だと今の私は思う。

 

 

ただ、読んだ時にすっごくすっきりした記憶がある。

私は自分の足で自分の世界に立つということの学習をみんながずっと昔にやるはずのどこかの地点で見落としてきたようで、それ以降気づかないうちに誰かに縋り付いては疲弊させてしまってきたようなのだ。要は自立ができていない。

そういうカスみたいな自分が嫌で、でもどうやって変えたらいいかもわかんなくて、もう「助けてくれ!」と叫ぶ以外に何にもできなかった人生最悪の時期が数年前にあった。そう叫ぶのにも疲れたあたりで人はふっと消えるのだなとも、何となく理解できてしまった(「死にたいと言ってるやつほど死なない」という言説があるが、あれは「死にたいと言えてるうちはまだ死なないで済む」の方がより正確だと思う、周りで死にたいと言うてるやつがいたら肯定せずともひたすら聞いてやるのがいいと個人的に思う、もし相手にも元気があればどこかに一緒に出かけるのもいい)。

 

まー、なんともあやうい時期だった。

あの時は半分死んでたというか、仮死状態というか、ずっと深い深い眠りに落ちているようで、はやく目覚めて生まれたいと思っていたような時期だった。

今年からようやく目が覚めて人生がやっと始まったような感覚がしているのだけれど、今もたまーに昔の気があるのでまだまだ一人前とは程遠い状態なんだろう。

精進。訓練しかない。生き続けることでしか見えんものがある。

 

ただ、みんながやるはずの地点を見落としたからと言って手遅れとか遅すぎたってことはないと思っている(某人曰く、never too late の精神)。月並みな表現だけれど、できるようになれさえすればそれが人生で一番早い日だから。

もちろん、もっと前にできるようになってたらせずにすんだ失敗なんて山ほどあるけれど、それはそれ。実際自分が歩いてきた道はこれしかないわけで、これが自分。タラレバなんて考えても仕方がないだろう。

そんなこと考える暇があれば失敗をこれからに活かした方が100良い。良いのだ。もうそれは理屈とか抜きにでもそう思った方が精神衛生上も、実際にこれから起こる出来事に対する働きかけ的にも良い。

全て今の自分に必要だったから起きた失敗なのだ。もしもともとできてて自分に不要ならしなかったはずだし、必要な失敗ならそこでやらかさなくてもいつかどこかでやらかしてただろう。

必要だから、必要な時に、起きたのだ。そう思う。

 

 

 

すぐ話が逸れる。要は、自分の「自立できてない」ってコンプレックスからくる不安定さに、当時あの人の文章がめちゃくちゃ刺さって、血と涙と一緒に不要な毒がどばどば抜けて大変すっきりしたことがありました、という話。

最近この文章をちょうど読む機会があって読んだので、それでいろいろと思い出したのだ。そんで「あわよくばフォローしちゃいたいな☆」みたいな気持ちになっているわけで。

 

ファンか? というよりもラブレターか。憧れか。

深い眠りから覚めるきっかけをもらったという意味ではおとぎ話の口づけのようなイメージに近いかも。

ただ一方的にお姫様ぶってるので一抹のきしょさがあるが。

 

 

そういえば、この前読んだ時は最初に読んだ時とまた印象が変わっていて、それもとても面白かった。

 

私もまたいろいろと進んで、新たに一つ答えらしいものを見つけて満足して、また違うなと違和感を覚えては、新たな答えを探すなり今ある答えを磨くなりする旅に出ることになるだろう。

そうしてうろちょろした後に、かのフレーズに戻ってこよう。また違う見方ができるようになってるかもしれない。

 

同じものを見てるのに、別の感想を抱くなんて、他の人とでも面白いのに過去と今の自分ででもそれが可能だなんて、素敵なことだよね。

そう思うとやっぱり、過去の自分と今の自分は他人なのかしら。そう思えば余計に日記を書いてた方がいいな。できる限りは続けておこう。

 

 

それはそうとして、今回の主題は、好きな文章に触れた折に見た昔の夢と、もう少しあなたの言葉が読みたいという、振り返れば熱烈なラブレターのようになってしまったお気持ち、という意味で、こんなタイトルにした。

そんな感じ。

 

それでは、このへんで。おやすみなさい。

 

 

いやー、好きなんだよなあの文章。みなさんもぜひ。ぜひっつっても私の文章じゃないからもにょるけど。さっきついにどきどきしながら読者になったよ。

人としてはそれなりに好きだよって記事の最後1フレーズです。こういうのってどこまで正確に引用するもの? そもそも引用して良い?

 

また悩んじゃうなあ、もうええわ、ありがとうございましたー(それはそうと、引用云々のルールはいつかちゃんと調べましょうね)。

 

 

 

 

追記:

とんでもない勘違いをしていたことに投稿後に気づいたため追記。

はてなブログって、大元のアカウント作って、そこからいくつかブログ作れるみたいな形式じゃないですか?だから、それぞれのブログごとに他の人のブログをフォローを別々にできると思ってたんですね。

できないんですね?

アカウント間のフォローだから、一つのブログでフォローするっていうのはおかしくて、フォローしたらどのブログから見ても大元のアカウントがフォローしてるのだから読者になってるってことなんですね?

 

という勘違いをしたままくどくどと今となっては意味のない葛藤をしていたことに気づいてしまったため追記としておきます。なんてこった。

 

ということで、普通にフォローさせていただきました。素の笑顔で名刺を乱暴に握り込んだ手のまま握手を求めているような気分だ。

ちなみに冷や汗はだらだら。南無三。

 

以上、本文に戻ってください。

ミリ

(8581字)

 

この記事は、Kumano dorm. Advent Calendar 2022の14日目の記事です。他の人もいい記事がいっぱいなのでぜひ。

私も遅れといてなんだけど、書こうね!みんな!みんなの文章が読みたいです。

 

 

 

さて、名前を伏せたままこんにちは。この記事に辿り着いた人って私が誰か分かってるんでしょうか。分かってないんでしょうか。いろいろ周知してる先からリンク踏んできてくれてる人は知ってるかもですが、熊野寮アドベントカレンダー自体からこの記事に来てくれた人は「誰やお前」って感じでしょうかね。

まあどちらの人もいるでしょうし、どちらでも楽しんでもらえるように今回は私が誰なのかということに全く依拠しない話を書きます。エピソード単体として楽しんでいただければ、という内容にしたつもりです。

ただ、バカほど長くなりました。結構前から書き溜めてた話で、もともと別のところで出そうと思ってた話です。なのでアドベントカレンダーには向いてない記事だったかもしれません。申し訳ないです。8000字くらいあります。申し訳ないです。

 

とある旧い友人の話をします。彼女とは不思議な関係で、出会ってからの時間という意味ではどの友人よりも格段に長く、しかし一緒にいた時間で考えるときっと思いつく友人の中で最も短いでしょう。今は連絡を取っていませんが、彼女との時間は印象深いので、取り上げようと思った次第です、プライバシーには最大限配慮しつつ。

 

ではいきます。

 

 

 

「上手な嘘というのは、半分真実を混ぜた嘘だ」みたいなことをどこかで聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。もしくは「嘘をつくのが上手いやつは、本当のことを話しながら嘘をつく」とか。私はわりと最近、大学に入ってからめちゃくちゃ嘘をつくのがうまい先輩からこの言葉を教わりました。(その先輩には幾度となく騙されたものです。)

で、この話を聞いてしばらくしてから「そういえば、あいつのあれって嘘だったんか」と気付く機会がありました。昔の、本当に昔の友人のことです。たぶんこの話は誰にもしたことがありません。というのも、彼女のことを思い出したのがつい最近だったから。彼女の名前は「ミリ」といいました。まあガチの本名を出すと流石にまずそうなので、後々出てくる苗字は偽名にしておきます。

彼女とは一緒に居た時間よりも離れている時間の方がはるかにはるかに長く、ひょっとしたら友達と言えるほどの距離感になったことがないかもしれません。初めて出会ったのは、私がまだ4歳の頃に引っ越しをした前にいた保育園でした。そんな幼い記憶だけで、と思われるかもしれませんが、不思議なことに彼女とはその後長い時間にわたって、縁遠いままにずっと接点があったりなかったりしたのです。これはそんな18年の備忘録なわけです。

 

できるだけテンポよく行こうと思います。まずは出会いです。

保育園の頃の記憶は正直ほとんどありません(そりゃそう)。唯一覚えているのは、お父さんからもらったひらがなパズルの「ゆ」の字を無くしたことぐらい。本当にそれくらいしか思い出がない。

彼女とは、ミリとはその頃に出会いました。保育園ではあまり友達がいなかったのかどうか覚えていないけれど、彼女とはベンチや遊具の丸太の上を一緒に走り回ったり、となりの布団で寝たいと向こうから言ってくれたりしてなんだかんだ一緒にいるときは多かったような気がします。ありがたいことになんだかんだ毎日楽しかったように思います。

 

彼女はみんなからミリと呼ばれてて、実際に自分でも「ミリちゃんだよ」と言ってました。だから彼女の名前はミリなんだと思ってました。保育園の先生たちも、迎えにきた彼女の母親までもみんな彼女のことを「ミリちゃん」と呼んでいたのです。子供の頃なので音でしか記憶がないため、カタカナ表記にしています。(個人的に意味や漢字などを意識せずに音だけで認識している言葉をカタカナで書くことにしています。)

実は彼女の本名はミリではないと知るのは、もっともっと後のことでした。

 

引っ越しました。4歳の年の暮れだったと思います。

言うて引越し先は隣の市だったから近かったのだけれど、子供にはどうしようもありませんでした。会いに行けるという考えさえ思いつきませんでした。私はその後に引越し先で幼稚園に入り、そこで新しい人に出会うのが怖いなーとか初めて思ったような、そんな記憶があります。その後ミリとは会えず、なんならミリのこと少し忘れてたと思います。

 

そのまま小学校にあがりました。周りは幼稚園からそのままあがってきた知り合いばかり。みんなが一番楽しかったと振り返っていた3年生の時が一番つまんなくて、みんなが一番つまんなかったと言っていた5年の時が一番楽しかったです。あとは5年の時に塾に通い出しました。特に中学受験とかではなく、周りに流されてでした。友達の紹介だったので図書カードがもらえた気がします。

まあ全体的に特に新しいこともなく6年過ぎました。ミリとは一度も会うことがありませんでした。もうすっかり彼女のことなんて忘れていました。

 

 

中学に入りました。3つの小学校から卒業生が集まってきたので流石に知らない人間の方が多かったです。学年は80人もいなかったのですがクラスはギリギリ3つに分かれていたのでどの教室もスカスカしていました。部活やらクラスやら委員会やら覚えていることは多々ありますが今回はあまり関係ないので割愛です。

小学校から続けて通っていた塾の話をします。結局この塾に小5から高4(浪人期)まで通い続けました。個人塾ではなく、各市にいくつか教室のある、所謂地方で少し勢力のある塾で、私の実家がある市ともともと引っ越す前にいた市、高校がある市ぐらいまでは勢力のある塾でした。

その塾では年に数回、漢字テスト、計算テストがありました。そのテストが教室を超えて同じ学年全員の間で順番がつき、結果を載せた紙が最終的に各教室に貼り出されるので毎年ちょっとやる気を出していました。中学1年の時の計算テストで思っていたほど点が取れなくてちぇーっと思っていたので、どこのどんなやつが1位なのか見てやろうと思いました。そうすると

 

「98点 中山美里 ◯◯市◇◇教室」

 

と書かれていました。(先述の通り苗字は偽名にしてます。)

彼女でした。ミリでした。「ミリ」は「美里」だと初めて知りました。なんで下の名前の、しかも漢字さえも知らないのに分かったのか?と思われるかもしれません。実は引っ越してからもともとの保育園から卒園時あたりでみんなの集合写真が送られてきてたのです。アルバムに閉じる用の写真だったのか全員が写っていて、私はいなくて、裏にどれが誰なのかの簡単な名前のメモが書かれてありました。

その写真はたしか何となく母親から渡されて、もうその頃にはもとの保育園になんて興味がなかったので渡された時はガン無視でしたが、中学にあがって一度部屋の掃除をした時にぽろりと現れ、その時に名前を見ていたのです。

 

不思議なことに写真を再発見した当時はミリのことなんてすっかり忘れていたので、「中山美里」なんて奴がいたのか、ほー。ぐらいに流していました。

だから自分でも計算テストの結果の貼り紙を見たとたんにミリのことも写真の裏に「中山美里」と書かれていたことも思い出したのには正直驚きました。

でも、その時は言うてもそのくらいでした。あー、いたなそんなやつ、ていうかそんなことより負けたという事実の方が気に食わんぞ!ボケ!みたいな。薄情なのかなんなのか、今そいつが何してるかとか全然気にならないタイプだったのでそのまま連絡取ろうとかもせず特に何も起こりませんでした。今思えば教室は違えど同じ塾にいることがわかったのだから先生を通じてでもいくらでも連絡が取れたのにな、と思います。会いに行こうという発想さえない無力な小学生時代はいつの間にか終わってました。

 

 

もう一つ中学時代のお話。

その後その年の夏休みの終わり、塾の夏期講習の大詰めで、各教室の希望者が一番中央の教室に集められて特別授業を受けられるみたいな回がありました。授業が始まってすぐになんかテストを返すとかだったのかな、一人ずつ名前を呼ばれて前に向かう時間が来ました。別にどうでも良かったのでぼやーと聞いていると、突然

 

「中山美里。」と呼ぶ声がはっきり聞こえました。

「はい。」という返事も。

 

 

ついこの前、といっても1ヶ月以上前だけど、その名前を見ていろいろビビビッと思い出してすぐだったので、ハッとしました。ミリでした。

 

 

 

 

しかしかなりびっくりしました。なんと「ミサト」でした。「ナカヤマミサト」でした。最初は一瞬戸惑ったけど、教室の一番前からテストを受け取って戻ってくる彼女の顔には、ミリの面影が残っていました。

 

 

 

ええええええええええ。

えええええええええええええええええ。

 

 

 

ミリちゃうんかい!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

ミサトなんかい!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

授業がそのまま始まったので声をかけられず、かけたとしても何を話せば良いのかわからんかったからどうしようかと思ったけど、かなり勇気を出して授業後に話しかけたように思います。

何を話したかなんて正確には覚えてないけれど、一個だけ覚えてることがあります。確かお互い元気ですか元気ですよ、私のこと覚えてる?うーんギリ、みたいなこと言い合ったあとは特にもう盛り上がりもしなかったんだけど、そういえばミリじゃなくてミサトなんだね?保育園ではミリだと思ってたわあはは、という話をすると

 

「ミサトだよ。ミリは確かに子供の頃は気に入ってたしそう言われてたかな。お母さんが勝手にそう呼び始めたらしいんだけど、すごく子供っぽくて嫌い。私ミサトだし。」

 

みたいなこと言っていました。もうミリではなかったです。というかもうミリと呼んではいけなくなりました。

 

やっと再会したミリは、ミサトでした。ミリではありませんでした。

ミリだったけどミリではありませんでした。

 

 

とまあ、そんなこんなで中学でのミリとの関わりはこれで終わり。実際に会ったのは計5分くらい。みじか。

高校以降はもうほとんど関わりがありません。陸上部の友達から、大会で「中山美里」っていう強い短距離の選手が西の〇〇高校にいて勝てないんだと聞いた時には驚いたけれど、まあ別にもうどうでもよかったです。そういえばその時も「ナカヤマミサト」でした。

 

その後はもうすっかり彼女のことなんて忘れ、そのまま高校を卒業し、浪人し、大学に入り3年弱が経って、今に至ります。そんでこの前ふと、本当にふと彼女を思い出して、もう一生会うことないんだろうなー元気かなーとか物思いに耽っていました。

で、こういう時に便利なのがSNSですよね。普段はあんまりしないんだけど、どうせ彼女もSNSやってんじゃないの?と思ってインスタの方で調べてみました。インスタは本名でやってるやつ多いですからね。

そうしたら「ナカヤマミサト」はいなかったんですが、「ナカヤマミリ」がいたんです。まあ正確には「miri_naka_yama」やったんですが(重ね重ねですが苗字は偽名にしてます、こんな感じというイメージです)。公開アカウントだったので、ちょっと悪いかなあとか思いながらもしっかり投稿を見ることができました。

だいぶ前からしっかりインスタやってるようで、高校の時の陸上の大会の投稿がたくさんありました。写真の中の胸の名前のゼッケンも中山でしたし、電光掲示板に載ってる名前も確かに中山美里でした。あと中学ではバレー部だったみたい。そんで大学は東京に行ったらしい。知らなかったなぁ。そんなこと勝手に知って良いのだろうかと思いましたが、まあ公開アカウントですもんね、いいよね。

 

そんで、肝心の名前なんですが、これびっくりしたんですが、改名したらしい。キラキラした写真でたくさんのインスタのホームの中に、一つだけしっかり長文が書かれてある投稿がありました。過去の家庭環境とか名前のこととか今度ミサトからミリに改名するからみんなよろしくという旨の内容でした。一応公開アカウントだと言っても個人情報をあんまり晒すのもよろしくないだろうから詳細は書きません。ちゃんと役所かなんかで改名の手続きもして、彼女はミサトからミリになったそうで、今は本当にナカヤマミリらしい。

 

ただ、びっくりしたのが彼女に母親はいないとのことでした。なぜいないかということの理由は書かれてませんでしたが、生まれたのと同時期にもういなかったとのこと。じゃあ私が保育園の頃に見てたあの迎えにきてた人は誰だったのかというと、歳の離れた姉だったらしい。19離れてるらしい。それはもう姉というか親みたいに感じそうだけど、なんて思って、そこで思い出したのです。

そういえばあの子、「ミリってのは母親に呼ばれてた名前、気に入らない。私はミサト。」って言ってたよな、と。母親と姉とを勘違いしてたのかな?ミリって呼ばれるの嫌いだったけど好きになったのかな?と思ってたけど、その辺についても投稿の下の方にしっかり書かれていました。

 

彼女は自分の母親がもうどこにもいないことを、私と特別授業で会った直前くらいの時期にちょうど知ったとのことでした。ミリという呼び名は、彼女の母親が「美里」と漢字だけ考えてそのあと会えなくなってしまったので、年の離れた姉と高齢の父でかなり呼び名を考えあぐねたらしい、母親は一体どんな呼び名を想定してたのだろうと。

結果として彼女はとりあえずミサトになったけれど、姉と父はミリ自身が好きに選べるようにしておこうと思いミリ、ミリと呼ぶようにしたそうで。美里についてミサトと決めつけずに、表記は「ミサト」、呼び名は「ミリ」にしたらどちらかに囚われすぎずに好きな方を選べるのでは?との意向だったそうで。

でも彼女にとってはそれが逆に苦しい鎖になってしまったそうな。母親が実はもういないと知ってしまったこと、よくわからない名前。確固たるアイデンティティが揺らぐ瞬間を目の当たりにしたようです。

 

信じたくなかったのかなあ、いろいろと。今となってはもう別に連絡取ってまで聞こうとは思わないんだけれど、私はしっかり母親がいるって信じてしまいました。あなたの嘘はうまかったよ。そんで恐らくたくさん悩んで、自分が好きな方の名前を選べたんだね。あなたはナカヤマミリではなかったし、ナカヤマミリになったんだなぁ。

 

なんだかすごく安心して、でも思い出の中の彼女はその時はまだ「ナカヤマミリ」ではなかったんだなと思いました。ちょっとさみしいような。でも良かったなあと思う気持ちのほうが強かったです。

今は別にじゃあ会おうかなんて気持ちにはあんまりならないんですが、今もどうやら東京で元気にやってるようだし、今度東京で就職するらしいから、これからも元気でやってって欲しいなあ。

 

 

と、そんな感じで、旧友の話でした。名前ってみなさん結構思い入れありませんか?私も実際かなり自分の名前には愛着があるんですよね。そこが揺らぐってなると怖いだろうなーとも思った次第です。まあ、一生付き合ってくこともできるし、変えることもできると思えばその方が自由で良いのかもしれないですね。そんじゃこのくらいで。

 

 

 

 

終わり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい、ということでこんな感じで前置きを終わります。長い?、は?、良い反応ですね、本当にここまで長い文章を読んでいただいてありがとうございます。もうめんどくさかったらここで切ってもいいですが、暇なら呼んでください。さて本題です。

 

今回の話、どこまでが本当だと思います?

実は今回の本当のテーマは冒頭でもちらっと触れましたが、「うまい嘘というのは本当のことを半分混ぜた嘘だ」ってとこでした。勘のいい方はそこで気づいてたかもしれないですね。

 

まあぶっちゃけるとミリっていう友達がそもそもいません。ミリがこのお話の中の「嘘」です。エピソードは全部アドカレを担当することになってから思いついて捏造したものです。ただし、出てくる環境は全て私が見てきた世界です。これがこのお話の「本当」にあたる部分。保育園や幼稚園、塾、友達からの知らせ、インスタ、田舎における「隣の市」という言葉に宿る文字通りの意味とは似つかわないほほどの距離の遠さ、その距離に太刀打ちできない子供の無力さ。思い出の中の、私の生きてきたあの小さな田舎の情景はそのままに、まったくいない人物を埋め込みました。何を強調して描くかがそのまま自分が何を印象強く覚えているのかを反映していました。

 

 

なんでこんなことしたの?サイコパスなの?という声が聞こえてくるような気がします。少し説明しておきましょう。

 

実は私は高校の時に演劇部に所属していました。大変なことも多かったけど結構頑張ってて、演者も裏方も、あと劇作もやってみたことがあります。でね、この劇作が正直一番大変だったんですよ。何?話作るって、台本書くって、正直無理ゲーやろと。でもそういうの作るの上手いやつはしっかり上手くて、死ぬほど嫉妬したものです。

同級生の中で毎年部内戯曲ミニコンクールがあったんですが、誰も全然書かなかったから参加人数増やすために正直わりと仕方なく出馬しました。まあそんな言い訳してもしょうもないんだけど、しっかり負けまして。しかもコンクール出馬者が二人しかいなかったから一位ニ位とかじゃなくてしっかり勝者と敗者にはっきりと分かれてしまいました。別に負けたからそれで忘れちゃっても良いんですけど、それからどうやったら面白い話が書けるのかなー、どうやったら読んでる人の動悸をぶち上げられるような戯曲書けるんかなみたいなことはずっとどこかで考えてましてね。良い演劇に出会うと、正直いつも内容よりも作者に思いを馳せてしまいます。

それからというものの、お話のギミックを無意識に考えちゃうことが多くて、これってこんな話にしたら面白いかなーとか、あの人やったらどんなふうに続きかくかなーとか、これどんな風な演出つけたら面白いやろうかとか、気づくと結構考えちゃうようになちゃってて。まあ今回の記事もそんなお話つくりの一環なわけでした。

 

別に今後いつか演劇をやりたいとかいうわけじゃないんです。でも負けたことが心にこびりついて、悔しくて悔しくてずっとアタックしてるうちに、もう悔しさとかなくなって向上心だけになってるんですよね。そういう意味では、負けて悔しかったことこそ今の私を作ってる気がします、だからこそ負けが悪いことだとあんまり根本的には思ってないのかもしれません。

 

まあ、一個まとめとくとすると、自分が「これは完璧に負けたなー…。」って敗北感に打ちのめされてるものこそ今後の人生の楽しみになりうるかもしれませんね、みたいなところでしょう。あっさり勝ってしまったものの方が意外と覚えていないことも多いですよね。

 

 

 

ちなみにこの半分空想劇場、やってみると結構面白かったです。お話を作る時とかってやっぱりこんな風に半分本当にしたらリアルさが出るし深みも出て良いのかしらん、なんて思いながら書いていました。作り話っぽくなり過ぎずにどこまで自然に記憶に溶け込ませるかってとこがポイントでしょうか。

 

 

…。でもこれやってたら妄想と現実との境目がぼやけすぎるかもしれないので止めた方が良さそうですね。

 

 

うん、やっぱ禁止、やっちゃだめだよマジで。

今も本当にインスタで探したらミリが出てきそうな気がするもん。こわ。

 

 

 

あとついでに途中で書いたことについて一点触れておきたいです。

大人になればなるほど、実際に会いに行ける力っていろいろつきますよね。経済力にしても、計画力にしても、実際会いに行こうと思いさえすれば会いに行けるわけです、世界中のどこでも。

大人になればなるほど、会えない理由ってわりと自分の気持ちでしかなくて、そこに一抹の薄情さを感じたりするなあと、最近思います。

会っていきたいよね、積極的に。そういうのに負けたくないよね。

 

 

 

 

あと最後にちなむと、ミリという名前自体は元ネタがあります。熊野寮のすぐ近くに「美里歯科」ってお医者さんがあるんです。で、これを見たときに「美里って名前の人は読み方が『みさと』でもやっぱりあだ名は『みり』になったりするんだろうか」みたいなことを思ったんですね。で、今回それを思い出したので、このいない友達の名前をミリにしました。大変でした。もうこの名前しばらくみたくないです。もう私の頭の中に出てこないでほしい。というか移転してくれんかな。

 

 

 

 

 

まあ長くなりましたがこれで本当に終わりです。

ミリはいません、この世のどこにも。それは本当。

 

 

                            おしまい。